Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル

    “たとえば こんな明日はいかが?”番外もいいトコ篇おいおい
 



          




 一言で言えば“品のいい”空間だ。昼間のような柔らかな明るさをたたえた中、意識を奪われるほどまでの主張はない程度の音量音質で、室内楽だろうゆるやかなクラシックがゆったりと奏でられており、視野に入るのは落ち着いた色合いやつやが出るまで丁寧に使い込まれた家具や調度たち。シックながらも厳選されたものなのだろう逸品たちが配置された広々とした空間に、主役たる客たちが淑やかに語らい合い笑いさざめく声が、広々とした店内に淡く広がって暖かな空気を醸し出している。まるで芸術品のように、素材も味も器も一線級という料理ばかりがコースでのみ供される此処は、ただ空腹を満たすためだけに、若しくは出会いの場つなぎのために何か食べるというような ありきたりな食事処なぞではなく、階上に政財界の大御所や国内外のV.I.P.たちが、頻繁に、されど秘密裏に出入りする小洒落た個室も備えた、都内でも…知る人の限られた指折りの名店とやらだそうで。
「…のお話も伺っておりますの。」
 さぞかし手入れの行き届いたそれなのだろう。テーブルクロスの純白の上へとかざされると輪郭を見失いそうになるほど真っ白なまま、お行儀の良いお作法を見せてくれていた小さな手が、優美な曲線のディティールも華やかな、ロココ調たらいう様式のティーカップを音もなくソーサーの上へと戻す。カナリアの羽根を思わせるような軽やかな声音は、決して浅はかではない程度に、奥行きもある世間話を淀みなく紡ぎ、相手の注意を逸らさせないコツをよくよく心得た魅惑の表情をたたえたまろやかな笑顔が、食事中からのずっとずっと、こちらへと向け続けられている集中力の物凄さに。実を言うとこっちこそ、内心でギブアップしかかっている。
“生粋のお嬢様なりに、そういうところを鍛えられてんのな。”
 乱暴に扱われりゃあ萎縮もしよう悲鳴も上げようが、それなりの場でそれなりの立場だという自負を持てば、そこはそれ、家柄だの格式だのを子供の頃から刷り込まれて来た蓄積がものを言う。限られた者しか居られない世界に選ばれて生まれた人間であることを誇りとし、権
(けん)高いことを美徳とする。格が上であればあるほどに、常識は狭いかもしれないとは言え、精神的なところで ある意味 桁外れに強かな人種でもあって。
“…さあ困ったぞ。”
 このままでは、食後の語らいへとお誘いを差し向けねばならない。母から頼まれたお使いの延長、ただの会食…で済ましたかったのだけれども。ここで“じゃあね”ではあまりに不自然な年齢になっている自分であり、頭の中にて適当で無難なバーやクラブを検索しかかっていたそこへ、

  「コーヒーをお持ち致しました。」

 なめらかな丁重さが板についた、あくまでもでしゃばらない、されど無視し切れない滑舌のはっきりとした声音が、すぐ間近な頭上から降って来たもんだから。
「あら。コーヒーはもう戴いておりますことよ?」
 勧められた自分よりも先に、向かいの席の彼女が応じて見せる。語調こそそんなにも鋭くはないものの、相手の失態を窘めるようなぴしゃりとした言いようであり、どうかすれば鼻持ちならない人種にならぬよう、これでも気を遣っておりますのよと、おっとりしているように見せて…真綿にくるんだ棘を懐剣代わりに常備しているところが、そこはやっぱり薔薇は薔薇だというところか。………とはいえ。そんな風情を隠し持ってた彼女だということにさえ気が向かなかった男の側は、最初の一声にハッとしたまま。テーブルの傍らに立つ“ウェイター”をちらりと見上げて…内心で冷や汗をドッとかき始めていたりする。

  “な、なんでこいつが此処に居る〜〜〜っ。”

 面差しがそこいらの同世代の連中からは格段に掛け離れて美麗端麗だからだろう、淡い金色に染め上げられた髪も蓮っ葉な不良のそれには見えず、優雅な物腰から“帰国子女かしら”という方向へ無理なく解釈されてしまう不思議な青年。若木のように撓やかで、細身ながらもバランスが良い肢体には、格式の高いレストランの、シックなデザインのボーイ服もきりりと似合って麗しく。テーブルまでコーヒーを捧げ持って来た銀のトレイを腰の辺りへ添わせていたその陰にて、素早い仕草で片手を振って見せる彼だというのへ気がつくと、何とか…気力を振り絞り、かすかに顎を引いて見せる。
「これは失礼致しました。」
 テーブルを間違えたようですねと、やはり優雅な会釈を見せてから。カップを持ち上げ、お辞儀を一つ。そのまま厨房がある方へと戻ってゆく青年へ、振り向かないまま、されどたっぷりと間合いを数えつつ、何かが来るのを待っての深呼吸を繰り返していたその最中に、
「………っ。」
 今度は胸元でヴーンと突然唸り出したものが男を急っついた。電源を切っておいた筈なのに、何故だかバイブの振動で着信を知らせて来た携帯電話であり、
「…失礼。」
 不審に感じつつも、実は心当たりがあることとて。心持ち、椅子を後ろへと引き、懐ろから掴み出したアイテムを耳元へと当てる。その途端に、

  【美人とデートか? 隅に置けねぇな。】

 大当たり。いや、ご指摘のあった内容がじゃなく、お声の主への予想が、ですが。
(苦笑) 耳に馴染んでもう随分になる、それは伸びやかで…その分だけ色々なものを含ませられるようになったぞとばかり、気色の幅も広がった若い声が、どこにも逃れさせない鋭さにて真っ直ぐストレートに訊いて来たものだから、
「…まあな。」
 渋々ながらに認めると、
【二つから選べ。】
 何だか奇妙なことを唐突に言い出す相手であり、
【このまま そっとしといてほしいか? それとも、出来ることなら ぶっ壊してほしいか? AかBか、自分で選びな。】
 恐らくは、先のがAで後のがBか。おいおい、これってのは親掛かりの出会いとやらだぞ。ぶっ壊すだなんてそんな簡単に言ってくれるな…と思いはしたが、
【お〜い?】
 性能の良い最新型な筈なのにな。単調に聞こえるばかりなその声からは、どんな思惑が潜んでいるのか、図り知ることさえ出来なくて。まあいっかと開き直って、今の自分にはどっちが大事か、そうと限定すれば簡単な答え。
「…B、だな。」
 そおっと言葉を置くように、静かにしっかり応じてやれば、
【了解♪】
 妙に弾んでの返事があって。通信はそのまま、一方的に寸断された。
「どうかしましたの?」
 こんな場での急な電話だなんて、どうかしなくとも非礼の限り。ただ、この男性は大物議員の御子息だから…もしかしたならそちら方面からの連絡だってあるのやも知れない、一般人とは微妙に立場の違う特別な身の上。そこまでをしっかり把握してらしたらしきご令嬢へ、いやあの、大したことではないんですがと、懸命に言葉を濁しかかったのとほぼ同時に。

  「………ちはらさんっ。」

 何だか急な大きなお声が、ふかふかの絨毯を毟
(むし)らんという勢いのだかだかという乱雑な足音と共に、こちらへと駆け寄って来たじゃあありませんか。しかもしかも、その足音の主が発したのだろう最初の第一声に、
「あ…。」
 明らかに大きく動揺したのが、真向かいのご令嬢。何か良からぬ霊でも取り憑いたのではないかと思ったほどに、デザイナーズ・ブランドのワンピースに包まれていた細い肩をびくりっと大きく震わせて。それからおろおろと周囲を見回し、座ったままの椅子をその場でぎりりと引いてみたりする慌てよう。
“…おやおや。”
 そこは何となくピンと来たので、だというのに…とっぽい朴念仁の素振りにて、何が起こったのか全然判りませんというお顔を通していると、
「ちはらさん、これは一体どういうことだい?」
 自分と大差無い年頃だろう、まだまだ若い男の声が真横の上空から降って来た。
「君は海外に留学するからって。だからもう逢えなくなるって言ってなかったか? だから、だから僕は諦めたのに。それがどうして、こんなところでこんな男と逢っているんだい?」
 いきなり こき下ろされたもんだから。こっちのことをよく知りもしないで失敬なと、ちっとばかりムッと来たが、此処は何とかぐっと堪えて。
「ちはらさん? この人は…。」
 素っ惚けて自分からも、苗字ではなく名前呼びで尋ねるという、なかなかの不人情な真似をして見せれば、
「………っっ!」
 これは進退窮まったと思ったのだろう。可憐そうだったご令嬢、がたんっと席から立ち上がり、されど最後の礼儀に一言。

  「急な御用が出来ました。ごめんあそばせ。」

 優雅に小首を傾げての会釈をし、凛と顔を上げ、毅然と胸を張って。まるで…当代随一のプリマドンナが、踊り終えた舞台から拍手喝采を受けて退場してゆくような風格さえたたえたままに、つかつかとこの場から退出して行ったのでありまして。後を追う情けない色男くんの泣き言が、ホールとエントランスとを仕切る分厚いドアの向こうへと吸い込まれるまで、少なくはなかったお客人たちのほとんどが、凍りついたようになってこちらの成り行きを眺めやっていたのだけれど。何とか場を取り繕おうとした支配人の心くばり、別の室内楽の演奏があらためて流れ始めた間合いにて、空気を読むのは得意な皆様方の関心もお上手に切り替わった模様。何事もなかったかのように、さやさやと絹のようななめらかさで、談笑の声やら食器の触れ合うかすかな音やらが響き始めたラウンジだったが、そんな中、一人取り残された格好になっていた最後の“当事者”が、小さく小さくその口許へと笑みを浮かべて立ち上がる。アルマーニのスーツ姿も小粋に決まっていたその男性は、何とか表情を引き締めようと、ちょっぴり難儀をしているようで。そりゃあ、突然あんな愁嘆場を目前にて展開されてはね。どんなお付き合いがあった女性なのかまでは判らないながら、多少なりとも衝撃であったことだろうと、周囲の席のお客たちが他人事ならではな、好奇心からの感慨をこそこそと囁き合っていたのだけれど。

  ――― 実は実は、このラウンジの中では一番に、
       大爆笑したかったのを必死で堪えていた“当事者”さん。

 あまりの痛快な話運びに、あんの黒幕野郎が本当にどうしてくれようかと、今にも笑い出しそうになるお顔を何とか引き締め、お会計のある出口の方へと足を運ぶことにした彼だったとは、いくら人の腹の底まで見透かすのがお得意な階層の方々であれ、さすがに気がついた人はいなかったようである。






            ◇



 さすがはプロということか。半端なバーなら根掘り葉掘りと色々訊かれたろうに、店内の雰囲気をぶち壊したほどのあんな騒動があったにも関わらず、何の陰りも含みもないままに応対して下さった支配人であり。カードでの支払いを済ませた彼へと、別のボーイさんがコートを着せかけるのを見守ってから、そりゃあご丁寧にドアの外まで直々のお見送り。陽の落ちた冬の街中はまだまだ宵の口。とはいえ、ここいらは少々値の張る店しか並んでいないせいだろう、人通りはほとんど無いほどに静かでもあり。誰かを乗せて来たばかりなのか、高級そうな黒塗りの大型車の横で、これも制服姿の男性が車についた埃を羽毛のブラシで簡単に払っている姿が目に入る。此処へは顔を見せただけ、若しくは誰かの同伴で来ただけで、すぐにも他所へと回る予定の、そんなご主人を待っているのだろうかしら。一瞬、視線が合ったけれど、こちらのいで立ちからそれなりの判断をしたらしく。明らかに年下の青二才相手に、かすかな目礼を寄越したところは、きちんとした行儀を叩き込まれている筋の豪の者でもあるらしい。こちらも目礼での会釈を返し、自分が乗って来ていた車を停めたままのパーキングビルへと速足で向かう。昼間はそれほど寒くもなかった、久々に良い天気の一日だったが、さすがに陽が落ちれば二月の夜の寒気は容赦がない。コートの裾を翻し、これこそ繁華街らしい賑やかな人の出足が見えかけ始めている通りの手前、憮然と無表情な外観のビルへと駆け込む。ほんの3階だからとエレベーターを使わずに、無愛想な階段を駆け上がれば、

  「…よう。」

 聞き覚えのある声がして。それに引き留められるように、踊り場の途中で足を止めた彼であり。階段を使う客など殆どいないという前提の下にか、煤けたような頼りない照明しかないそんな中、壁際の闇溜りの中から視野の中へと踏み出して来た人影へ、
「よくもまあ、店内へ潜り込めたもんだな。」
 会員制の店で、どんなに有名な人物や金満家であれ“一見さん”は入れないというほどに、その歴史と格式にこだわってるレストランだったのにと。呆れているにしては愉快そうな響きの声音で、感心しつつの声をかければ、
「コネがあるんだよ。」
 副支配人にちょっとなと、あれだけの騒ぎを持ち込んだ張本人、黒幕さんが にぃと笑った。どうせ“コネ”というより弱みだろうよと、判っていながら深くは言及しないまま、今はもうボーイ服ではない青年へと向かい合ったままでいた男だったが、

  ――― ちゃりり、と。

 コートの下のジャケットの腰回りから、涼しげな音を鳴らして取り出されたのはキーケース。
「ウチ、寄ってくか?」
「マンションの方?」
 是と頷いて見せれば、壁から身を浮かせた態度にて“了解”の意を示す青年であり。歩み寄って来た彼と並んで3階のフロアまで、他愛ない話をしながら上がってゆく。こちらも会員制の駐車ビルなためだろうか、ゆったり余裕の間隔にて並んでいる、それぞれに名のある車たちの中。さして華美ではないが見る人が見れば唸るだろう名車に歩み寄って乗り込むと、反対側へと回った連れのため、手際よく助手席のドアのロックを解いた男性であり。スリムな肢体な彼である上、乗り込む所作がなめらかだったこともあって、ぎしとも ゆさりとも揺れないご立派な車にはそろそろ慣れたが、
「…あ、そうだ。お前、飯は?」
 食ったのかとぞんざいな口調で訊かれて、シートベルトを引っ張りながら“ん〜ん”とかぶりを振れば、頑丈そうな顎先にちょいと指先を当てて見せ。
「回らない寿司のテイクアウトってのはどうだ?」
「ん〜、ま・いっか。」
 気乗りしない様子で助手席のシートに撓やかなその身を伸ばしつつ、まあ我慢してやるさと尊大そうな応じをするのを苦笑混じりに見届けて。その大ぶりな手には小さすぎて玩具のように見える携帯電話を開き、登録してあったナンバーへとつないで耳元へ。
「流花亭さんですか? 葉柱です。急なんですが、おまかせと上巻きとを1人前ずつ、折りにして用意しといて貰えませんか。…ええ。今、銀座ですんで…。じゃあ。」
 外国ブランドのスーツが映えるのは、相変わらずに背丈があって、かっちりした体格の見栄えがいいのだから仕方がないこと。身ごなしが颯爽としているのも、ちょっぴり“やんちゃ”だった時代からして機敏でフットワークがよかった彼だったのだから当然のこと。そんな頃から既に、人を率いて行動する者だけが身にまとう、重厚な威容の片鱗のようなものも持っていたのだし、そういった風格やら何やは、特に何かしら…必要だからとわざわざ構えて身につけたものではないらしいのだけれども、

  “…もうすっかり一端
(いっぱし)の大人じゃん。”

 流暢に紡がれる言い回しや、さっきの店内での愛想笑いがすっかりと大人のそれになってしまったのへは…さすがに。彼がそれなりの身の上になったことを、そこへと至ってしまった“時の流れ”というものを感じざるを得なくって。これもその身に相応しいものとして揃えざるを得なかったらしい高級外車の、やたらとクッションのいい助手席に身を沈め、こっそりと溜息をついてみた、蛭魔さんチの妖一青年だったりするのである。










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